「いぬねこの2次元ポケット」カテゴリーアーカイブ

言葉なんて、発した後は受け取る側の問題!?

国際問題にも発展しつつあるイギリスのコメディ番組の事。
今日、割と詳しい?内容の記事を見つけたので、読んでみました。
日本側のリアクションは最近の日本人のスタンスが良く表れていると感じました。
最近は何かあるとすぐに攻撃されたと感じやすい人が多くないでしょうか?
しかも不確かな情報にすぐに惑わされている事が多い!
その辺はまぁ多分にメディアのせいだとも思えますが・・・
しかし、戦争に走ったのも情報操作に弱い国民性のせいでもあると思いますし、一概に外的要因だけのせいだともいえない気もします。
記事を第三者の目から見ると、対象者を非難中傷している気はまったくしませんでした。
とはいえ対象となるものが自分の身内ならこういう冷静な考えは出来ないかも知れません。
しかし、自分なら事実関係は一通り知って(調べて)から発言すると思います。
個人的には《is the glass half empty or half full》この言葉を知った事だけでも収穫ありです!
自分をしっかりと持ちたいものです!と常々思います。
BBCの謝罪に関する記事

2010年 総括!

過去を振り返る事は、しない人種なのですが、今年は感慨深いものもあり珍しく、今年一年を振り返りました。2010年はここ数年、いや10年くらいの中で一番良い一年と断言できる年になりました。怪我や事故が無い事も大いに関係していますが、精神状態が非常に良かった!!のが理由です。
春先からは、かなり安定していて毎日が充実していました。夏頃には最高潮と思える日々!秋になってからも、調子の良さは崩れる事無く、12月を迎える事が出来ました。精神的な安定の証拠の一つに、6月以降体脂肪率は5%を維持していたにもかかわらず、風邪を一度もひかなかった!というのが挙げられます。自転車のみならず、仕事でも忙しいながらも充実していて、全てが良い調子に進んで行きました。その為か今年は1年がとても早く感じましたね。
2009年の年末に理由も無く感じた『2010年は必ず良い一年になる!』というのも、嘘ではなかったと今では思えます。
では、2011年は?といわれると、理由はありませんが良い一年になると言えます!!
人間は心次第で如何様にも変われるものですから、何事も心次第です。
ここで思い出したのは、超有名なこのくだりでした。
『心は場所や時には左右されぬ。心には己の場所がある。そして心は自らのうちに地獄から天国をつくり、また天国から地獄を作り出す。ジョン・ミルトン『失楽園』第一書第253行~第255行』
大学教授にも感謝です。講義は嫌いだったけどね!
人生において色々と使える道具を与えてくれていたとは・・・若い頃には露知らず!
まだまだ未熟者です。このまま前を見て、進みます!!

興味深い記事を見つけました!

最近の20代もしくはそれより若い世代の人は我慢が足りないと良く言われますが・・・
今日、こんな記事を見つけました。
何も虐待とは心身に与えるストレスだけでは無いと思いますね。
子供の言いなりになり、何でも親が尻拭いをしたり、全てを与えるような行為も長い人生から見たら、ある意味それは虐待でしょう!
まるで飼い主が餌を与え過ぎて、自分の力で歩く事も出来ない愛玩動物の如く・・・
昔の人はよく言った『いつまでも、あると思うな、親と金!』
せめて自立できる人間であるべきだと思う。
一人で立ち上がるのは容易ではないけれど!

罪と罰

別にドストエフスキーの作品についてではありません。
先日の記事にこういうのがありました。
アメリカでの出来事ですが、日本も対岸の火事とは思えないでしょう。
色々と考える事がありましたが、最近短絡的な行動を取る人間が増えたように思います。
究極的な短絡的な行動は、『誰でもいいから殺してみたかった』とかですかね。
人間として認めたくないです、はっきりいって。被害者(被害者遺族)は、生きている間中苦しみ続けなければならない。殺人まで至らなくても、某国の首相・政治屋とか・・・短絡的思考からの発言には呆れます。
そんな政治屋を間接的にでも選択した国民が悪いのかもしれません。先進国中でも日本は投票率はかなり低い・・・色々と考えて生きて行こうと思います。
最後にこれも参照下さい。
さらに満足な豚であるな!他人の褌ばかりですが・・・

いつもの異様な風景!?

今日は雨だったので久しぶりに電車通勤でした。
行きでも帰りでも、車内の人たちの半数以上の人が携帯電話をいじっています。
いつも疑問に思う事ですが、いったい何をしているのでしょうね?
友人同士でも会話もせずにお互い携帯電話を触っています。
もっと現実(目の前)の事に目を向けて欲しいですね。
その時にしかできない事があると思うのですが、はっきりいって異常です。
個人的にはあり得ません!狂っているとしか思えませんから・・・

先日、目にとまった記事について思う事

タイトルは『人の善意に訴えてきた環境運動の限界?今年の猛暑で感じる、日本人の「エコ疲れ」
』です。
興味のある方は下記URLを参照下さい。
日本人の国民性が良く表れている現象だと思います。
真面目といいますか、単純といいますか・・・
一度決めたらやりぬく為の努力は惜しみませんが、軌道修正や状況変化への柔軟な対応は出来ません。
舵の壊れた戦車の如く進むだけです!
だから、遭難や大きな事故、政治・経済・法律と様々な事象で問題が起こってしまっても、
軌道修正出来ずに、終焉まで行ってしまいます。
しかし、責任は後任者や他人に丸投げが常のように思います。
会社の場合は経営陣が頭を下げる事はありますが、政治屋の場合は皆無です。
まぁ、頭さえ下げれば許されるとは思いませんし、昨今の大相撲の野球賭博問題での会見も反省や事実を真摯に受け対応する感じは見られませんでしたね・・・
記事の事でいうならば、エアコンを使うのは良いですが、使った事で生じたマイナスは他の事柄(例えば自動車の使用を控えるとか、涼しくなったら一駅分歩くとか・・・)
バランスが取れれば問題ないと思います。
はっきりいって、エアコンを使用せずに熱中症になる方がマイナスです。
自分の健康面だけでなく、周りにも負担が掛かりますから。
で、話を元に戻すと、日本人の多くは一度放り投げた事は多くの場合、再度拾う事は無いと思います。
そこらへんも恥の文化の悪しき部分が顔をだしていると思います。
多くの日本人の場合、エコ(最近のエコはエコノミーだと思いますが)な行動も、一度頓挫すると止めてしまう事になる事が多いと予想できます。
日本人もバランス感覚を養う事が必要だと思います。
哺乳類の進化の歴史でも他の大陸から隔離されて進化を続けた有袋類は、陸続きの競争が多い環境で育った有胎盤類に競争で負けてしまいます。
日本は他の大陸から隔離された環境で独自の進化をつづけて来たと言えるでしょう。
日本人は大陸育ちに対抗する術は持っているのでしょうか?
今のご時世、隔離された環境などあり得ないでしょうし、競争は絶対に避けられない時代でしょう。
あくまで争いではなく競争です!
そんな事を考えてしまいました。
http://news.goo.ne.jp/article/diamond/nation/2010080311-diamond.html

最近思う事・・・

最近のニュースで思う事があります。
自分の事しか考えられないというか、
周りの事が考えられない人が多いように感じます。
ここでいう周りとは
「傍にいる人・関係のある人・自分を取り巻く環境・自分に関係している人を取り巻く環境・過去・現在・未来、等々」
と考えれば色々と出てきそうです。
自分の立場(社会的な)を考えずに軽率な発現をして退任に追い込まれた某県の高校野球の監督も記憶に新しいとは思います。
最近ニュースで取り上げられている大阪の保護責任者遺棄致死の容疑者の女性もそうだと思います。
自分の持ち物・背負っているもの・捨ててはならないというか手放すことは出来ないもの・・・
きちんと考えていますか?考えていましたか?と問いたい。
持てそうにない荷物なら、初めからそう言ってもらえた方が良いと思いますね。
その場の感情で決めて、後からハイ、ダメでした!
荷物ならそれでも良いのかも知れませんが・・・
それでも「自己決定・自己責任」ですが、当事者や周りが迷惑です!
まぁ、最近は決定は自己で行い、責任は他者へ!
の人が多いように感じます。
「自由の意味など考えもせずに、歩いてきたのは自由の証」(Let it go:TheGospellersより)
自由には責任が伴う!これまで当たり前だった事がこれからも当たり前である事を祈ります。
しかし、他人事と思う事無く、自分の持ち物をきちんと把握して、考え行動しようと思います。
「人間は考える葦である」(ブレーズ・パスカル)
では、考えなくなった人間は?
何でしょうね?

猫舌なのにチーズフォンデュに目が無い人・・・

表題のとおりですが、いわゆる猫舌です。
でもチーズフォンデュに目がありません。
火傷のリスクもある事を知りながら、ついつい食べてしまうのです。
当然過去に火傷をした事もあります。
しかし、今回は自分を抑えていこうと思いました。
なぜなら我がipod touchはカスタマイズというか導入アプリ次第で結構色々と出来るのですが、
現状では音楽プレイヤーと目覚まし時計、あとは時々ゲームをする程度・・・
はっきりいって無くても困りません。
という事は、使いこなしていないという事です。
最近やっとスケジューラを使い始めた程度・・・
ipadを買ったところで、宝の持ち腐れとなる事は明らか!
猫舌な私は、チーズフォンデュが冷めるのを待とうと思います。
果報は寝て待て!

自分を知っているか?

とあるきっかけから『常動行動」という言葉を知る事になった。
意味は読んで字の如く「同じ行動を繰り返す事」です。
例を出すと動物園の檻の中の動物が同じ行動を繰り返すといったところでしょうか。
ストレスを緩和する為の行動だという事らしいのですが・・・
逆説的に考えると、常動行動をしているという事は、
ストレスがあるという事だと言える。
さらに解釈を広げると常動行動中にはストレスが緩和される事はないという事だろう。
常動行動をしている場合、ある方向性についてのみ言えば変化つまり成長は無いと言えるかもしれない。
人は変化を嫌い、同じ行動をしてしまいがちだ。
しかし、それでは成長はしないし得るものも少ない(皆無)だろう。
今の自分の周りを見てみると、変化は少ないと思う。
2010年になってから、精神的な状態はかなり良いが、
もう2010年も半年が過ぎようとしている。
ここらで鳥瞰的な視点で自分を見つめてみるのも良い気がした。
自分を知る事はかなり難しいが、その作業は面白い!

アスリートとチャリティーの関係!?

ダイヤモンドオンラインというホームページに興味深い記事がありました。
スポーツ選手がチャリティに参加することが多いのはなぜか?という記事です。
全部の記事を読むのには登録が必要なので、その記事の出した答えを書くと以下のようなものでした。
以下は記事の抜粋
「トレーニングというのは、自分を変えたい、高めたいという欲求の表れなんです。身体トレーニングは自分の身体を高めることですし、脳トレーニングは知力を高めるためのものです。自分を高めたいという欲求は前向きな姿勢につながります。それが個人に向かったときにトレーニングとなり、社会に向かったときに社会貢献やチャリティという行動に結びつくわけです」
とありました。
ふとチャレンジ1x1の事と照らし合わせて考えてみました。
この記事の出した回答とは少し違う回答を得ました。
今回、その事について語ろうとは思いません(というのも今日導き出した回答が及第点まで到達しているかも?ですから)
有名アスリートやスポーツ選手がチャリティに参加している理由も合理的かつ理路整然と語れるものではないと個人的には考えています。
まぁ、人間の行動なんて本来そんなものではないでしょうか?
生命活動には全く必要のないスポーツや芸術・音楽は理論的・合理的な立場の対極に位置するもの・・・
それらが無くても人間は生きていけますから。
でも、面白みのない生活になる事は明らかです!
無駄と思える事や非合理的・効率的なものにも何か存在意味があるはずです!
チャレンジ!1x1の回答の一部は「存在意味と自己実現それに感謝」です。
今の時点で導き出した答えはそれです。
と公表してしまいました・・・
まぁ、ヘラクレイトスも言っています。
「万物は流転する!」と。
明日出した答えはまた違うものかもしれません。
人は皆求道者なのだから・・・
興味のある方は以下のURLで記事を確認ください。
http://diamond.jp/articles/-/7868